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南葵音楽文庫を学び楽しむ集い

Author:南葵音楽文庫を学び楽しむ集い

南葵音楽文庫:
紀州徳川邸にあったわが国初の音楽専用ホール、そこに併設された南葵音楽文庫(現在和歌山県が保管)についての情報を順次掲載しています。

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選曲と曲目に隠された秘密と謎 <1>

麻布飯倉 南葵楽堂に所蔵されていた南葵音楽文庫、なかでもカミングズ・コレクションに焦点をあてた日本初、いやたぶん世界初のコンサート開催にあたり、実行委員会の若手2名(ともに慶大大学院博士課程で音楽学を専攻)は、長時間かけてこの稀代のコレクションにふさわしい選曲に没頭しました。そればかりか大半の曲は、オリジナル資料から楽譜をあらたに作成しました。このコンサートは、演奏曲目や使用する版が日本初も多数含まれています。そこで、このような選曲になったワケ、各曲にひそんでいる謎や秘密を、ご紹介しましょう。
むろん詳細は、コンサート時のプログラム冊子にて紹介いたします。前回のコンサートのプログラムは、A4版で30ページほどになりました、今回も充実したプログラム冊子になるように、実行委員会で手分けして原稿を書くことになっています。

なぜヘンデルの間にスミスという、あまり知られていない作曲家がわりこんでいるのか。最初のベックウィスとは何者か、はやく紹介したい気持ちですが、次のメルマガで順次ふれるとして、今回はコレクターのカミングズとはどんな傑物かを紹介します。



William Hayman Cummingsウィリアム・ヘイマン・カミングズ William Hayman Cummings(1831-1915)は、演奏家、教育者、作曲家、研究者といった様々な顔をもち、多方面で活躍した人物でした。

少年時代のカミングズは、ロンドンの観光名所でもあるセント・ポール大聖堂の少年聖歌隊で歌っていました。チャールズ皇太子とダイアナ元妃の結婚式がおこなわれたところでもあります。7歳のとき(1838年)、大聖堂のオルガニストが亡くなると、その葬儀で歌ってもいました。
ところが後任のオルガニストは少年聖歌隊を冷遇、カミングズの父は、少年をテンプル騎士団ゆかりのテンプル教会の聖歌隊に入れます。1847年、彼はメンデルスゾーンの「エリア」を、作曲者自身の指揮によるロンドン初演で歌っています。
成人してもテノール歌手として、とくにその時代に代表的なオラトリオ歌手として活動しました。ほかに教会オルガニスとしての職務もこなし、声楽アンサンブルのメンバーとしてアメリカに演奏旅行をおこなってもいます。

彼の活躍は、教育者としても高名で、いくつもの音楽学校で声楽を教えました。なかでも王立音楽アカデミーの教授は17年間もつとめていました。この間、かずかずの音楽団体の設立、運営、指導をおこない、19世紀の最後の20年間、ロンドンの音楽シーンにあって重鎮となっていました。さらに、彼はパーセルやヘンデルの研究家として、この2人に関する著作をそれぞれのこしているほか、論文も多数あります。

次は作曲家としてのカミングズ。メンデルスゾーンの音楽に私淑していた彼は、その影響が色濃く表れた合唱曲や「妖精の指輪」といったカンタータを残しています。クリスマスに歌われる讃美歌第98番(あめにはさかえ)は、メンデルスゾーンによる原曲をカミングズが賛美歌に編曲した作品です。

最後が、コレクターとしてのカミングズ。彼は古い楽譜や音楽書のコレクションを19歳ではじめました。生涯をわたる蒐集は、ヴィクトリア時代最高の個人音楽資料コレクションとなりました。彼の死から2年後の1917年、コレクションはロンドンでオークションにかかりましたが、あまりに数が多かったため、オークションは数日間にわたりました。ワシントンの合衆国国会図書館がそのうちの59点を落札しました。徳川頼貞も購入を決断、なんと約400点を落札し、コレクションの大半が、日本にわたってきたのです。
今回のコンサートは日本にあるこのコレクションをもとに企画されています。

(この項 つづく

写真 ウィリアム・ヘイマン・カミングズ

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